短編小説「バトンタッチ③」

③赤いレインコートの女性


雨が降っていても朝は朝だ。

4歳の息子を保育園に送るわずかな時間が、

私達親子にとって貴重なコミュニケーションの時間だ。

息子が喋る言葉で、保育園のレベルがわかる。

この保育園を選んで正解だったようだ。

息子は傘を振り回すクセがあるので、雨の日はレインコートだ。


お揃いで買った赤いレインコート。本当は3着ある。

半年前、一番大きいレインコートを持たずに、あの人は家を出た。

別れた原因はよくあるものだ。キッカケは妊娠中の浮気。

そこから彼は二つの家を行き来する生活を続けた。

それでも私は4年間耐えてきた。

慰謝料は請求しなかった。

それでも養育費は彼の意向により受け取る事にした。

シングルマザーになって半年。

大抵の事は出来るようになった。

それでも息子を肩車出来ない時や、ボールを強く蹴れない時に不甲斐なさを感じる。

私は息子にとって母であり、父でありたい。

父親がいないからという言い訳は絶対にしたくない。


「おーはーよーうーございまーす。」


以前は保育園に行く事をあれだけ嫌がっていた息子も、最近は楽しそうに通っている。


「ママ、お仕事いってらっしゃいー」


別れ際、満面の笑顔で手を振られてしまった。

子供であり彼氏のような存在の息子も、

保育園に好きな娘が出来たのかもしれない。

もし今、私に好きな人が出来たら息子は反対するだろうか。

それとも、自分も好きな娘が出来たので良いよと言うだろうか。


本職は保険レディだが、週3回午前中だけコンビニでパートをしている。

出たり入ったりを繰り返したが、かれこれ15年は勤務している。

美大に通っていた私は、商業デザインの勉強になると思い、コンビニを選んだ。

今でも新商品のパッケージを見るのは好きだ。

働き始めてすぐに、私は当時まだアルバイトだった今の店長と付き合いだした。

夜勤だとお客様も少ないので自然と会話も多くなる。

18歳の私から見た27歳の彼は、とても大人っぽく余裕があるように見えた。

私がどんな話をしても「良いね~。」と返してくれた。

美大生だった私は、他人を観察するクセがついていた。

彼は女の人を惹き付ける綺麗な指をしていた。売れないバンドマンだった。

仕事の合間によくギターを弾く素振りをしていた。


彼は優しい。しかし、優しい男にまともな男はいない。

優しい男は、誰に対しても、優しいのである。


彼は、私以外の人と付き合っていた。

そして、それを承知で私は彼と付き合った。

1年後、彼の本命の妊娠が発覚した。

彼は夢を諦め、コンビニの店長になった。

そんな私も大学3年になる頃には、絵で食べていく事を諦めた。

一般企業を希望する美大生に世間の目は冷たかった。

内定を一つも貰えなかった私は、

卒業後、コンビニのバイトをしつつ、キャバクラで働いた。


そこで前の旦那と知り合った。5つ上の臨床心理士だった。

堅そうな職業の人でも、お酒が入ればただのスケベだ。

彼は言葉巧みに私を誘った。最初のデートはまるでカウンセリングだった。

彼は真剣な話を聞く時にだけ、トレードマークの黒縁メガネを外す。

絵に対する挫折感や歪んだ承認欲求を話した。

彼は厳しい言葉を交えつつも、私を肯定してくれた。

結局、優しい男に弱いのである。

そしてやはり、優しい男にまともな男はいない。

彼からの申し入れもあって1年程でキャバクラを辞め、そのまま籍を入れた。

ちなみに、キャバクラで培った接客術は今の保険レディにとても活きている。


「おはようございます。」


コンビニの基本は挨拶だ。


「おはようございます。」


レジに立つ店長が笑顔で応える。

笑顔は15年前と何も変わらない。

バックヤードで制服に着替えると、最初にやる事は近所への配達だ。

半径1キロ以内で、頼む人も大体決まっている。

地域の福祉活動とも繋がっていて、単身高齢者への声かけなどもマニュアルに入っている。

店内は登校前や出勤前の人で賑わっている。

レジに立つ店長は女子高生にデレデレしている。

この人と結婚しなくて良かったと思える瞬間だ。


今日の配達は1件のみで、馴染みの単身高齢男性へ弁当を届ける。

美大生時代の悪いクセで、ついつい人を観察してしまう。

この男性は、玄関先に杖があるのに、チャイムが鳴るとスタスタ歩いてくる。

縛ってある段ボールの大きさがマチマチなのは、

ネット通販を頻繁に利用している証拠だ。

今日も元気そうなので安心した。


店に戻ると、品出しと接客で慌ただしくなる。

12時30分を過ぎる頃には、いささか落ち着き、13時に上がる。

帰り際、店長とバックヤードで二人きりになった。


「おつかれー。どう調子は?」

「大丈夫です、元気です。」

「そっか、何か力になれる事があれば、」

「ありませんね。」

「おおっ、良いね~。母は強いね~。」

「そうですよ~。お先に失礼します。」


旦那と別れてから、店長は事あるごとに私を気にかけてくれた。

誰にでも振りまいている優しさだが、今の私には嬉しかった。

男の人にとって、一度付き合った女は、一生自分の女なのかもしれない。

店長は、付き合っている間、暇さえあれば私の事を「かわいい」と言って頭を撫でた。

背が高く、色黒の私は、男の人に「かわいい」と言われることはあまりなかった。

15年経って、今の店長から見て、私は「かわいい」女だろうか。

それとも、「かわいそうな」女だろうか。

保険レディの仕事に行く道すがら、

レインコートのフードの中で、

どうすれば、かわいい女になれるかを考えていた。


雨は弱くなり、街では傘をささずに歩いている人もちらほらいた。


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