立夏
愛し君へ
大型連休の真ん中、いかがお過ごし?
今年はお出かけしているかな?
君も知っての通り、刈川は4月20日に新型コロナウイルスに感染致しました。
今回のラブレターはコロナ隔離期間に書いた日記を送ろうと思う。
ちょっとでも君の役に立てれば幸いです。
4月20日 (1日目)
夕方まで練習をして帰宅。
少し喉が荒れていたので、夜にショウガ湯を飲んで就寝。
深夜、身体の火照りで目が覚める。
最初はショウガが効いていると思ったけど、
そこから中々寝付けず、次第に寒気が強くなる。
4月21日 (2日目)
朝体温を計ってみたら38.6度。これはヤバいと思って、
手元にあったコロナの検査キッドを使う。結果は陰性。
“土曜日のライブまでに間に合うか”と、
とりあえずもう一度寝てみるが、あまりのダルさと寒気で、
念のため、かかりつけの耳鼻咽喉科に電話。
11:30車で病院に向かう。病院につき、車内受診。そして再検査。
結果は「陽性」。20日発症と30日まで隔離期間と書かれた紙を渡される。
色々な説明をしてくれたが、陽性のショックと連絡する相手を考えていて、
上の空だった。陽性と分かった瞬間に外出禁止のルールが適応される。
前日、仕事の関係で、自宅のテレビを持ち出していたが、
外出禁止のルールにより回収不可能。4月いっぱいテレビの無い生活を強いられる。
とりあえず帰宅。何よりも悔しいのはライブの中止。
共演者のいしいさんにまず連絡。
いしいさんは本当に優しく、嬉しい言葉をかけてくれた。
一生忘れません。本当にありがとうございました。
そしてチケットを予約してくれた人に連絡。ここが本当に悔しかった。
振り返っても、やはりこの日が一番辛かった。
フラフラになりながらも関係各所や保健所に自分から連絡。
一通り収まると、布団に横になった。結局昼過ぎから夜まで寝ていた。
ようやく起きて薬を飲むために軽い食事。
薬を見てみると、全て馴染みのある薬たち。コロナの薬は無かった。
これで本当に大丈夫なのかと思ったが、結果から言ってしまうとこの薬で十分だった。
4月22日 (3日目)
ずっと寝ているので時間感覚が無い。
薬が効いたのか、朝体温を計ると36度台まで下がっていた。
朝九時ごろ、保健所からメールが来る。
今日から陽性者向けのサイトに健康状態を入力するのが日課となる。
少しでも気になる点があると、保健所から電話がかかってくる。
これはすごく丁寧な対応だった。熱は下がってきたが、代わりに喉の痛みが少し出てきた。
唾をのみ込むと痛い感じである。食欲が戻ってきたが、喉の痛みで食べるのが少し辛い。
痩せるかなと思ったけど、動いていないのでさほど変わらなそうだ。
体温調節がうまくいかないらしく、ちょっとご飯を食べるだけで大量の汗が出てくる。
それなのに眠っている最中にいきなり寒くなったりする。
今日もとにかく眠い。たくさん眠るので、たくさん夢を見る。
時事ネタ、時空ネタ、過去の記憶ネタ。イエスタデイのような夢を見ないかなぁ。
(ビートルズのイエスタデイはポールマッカートニーが夢で見た曲という逸話がある)
昨日から大量のラインやメッセージが届く。これが本当に心強い。
もし他人がコロナになった時、真っ先にメッセージをするつもりだ。
4月23日 (4日目)
大分良くなってきた。熱は36.8度。朝パジャマから着替えた。
今日はダラダラ寝なくても済みそうだ。かと言って、バリバリ仕事をする気にもなれない。
まだ身体に少ししびれがあった。今日はライブだった日だ。複雑な気持ちで過ごす。
無性にジャンクフードが食べたくなる。家族が食料などを届けに来てくれた。廊下に置いてもらった。本当に助かった。
夜は自分が出るはずだったライブを鑑賞。チャットで参加する。
共演者も含めみんなに温かい言葉をかけられまた泣きそうになる。
興奮と悔しさから中々寝付けない。
コロナになってから大量のポカリスエットを飲んでいるが、
二日前と比べ随分様態も落ち着いたので、飲んだ分だけトイレが近くなる。
それでも夜中、やはり身体が暑すぎて布団に入っていられないくらいになる。
4月24日 (5日目)
ほぼ日常の生活リズムに戻る。喉の痛みも随分和らいだ。まだ頭はクラクラする。
今日は雨。出るはずだったライブももしかしたら中止になっているかもしれない。
テレビもないし、音楽もほとんどかけていない。今日は特に雨の音が優しい。
この日、やっとパソコンで少し作業をした。溜まっていた写真の整理だ。
あと、冷蔵庫の中も綺麗にしてしまおう。
この日、東京都から支援物資が届く。あまりの量の多さにビックリした。
ジャンクフードが食べたかったので早速カップ麵を食べた。
音楽でもかけようと思い、
テレビ番組「ザノンフィクション」のテーマソングである「サンサーラ」を流した。
「生きて~る生きている~」。カップ麺との相性抜群だった。
日曜日なのに保健所からも電話がかかってきた。
ひっ迫しているとニュースでは聞いていたが、
これだけ丁寧に対応すればすぐパンクするだろう。
野球のロッテ戦を見た。佐々木投手が初球打たれて何故かホッとした。
コロナでダラダラするのは今日までと決めて、ダラダラし出した。
月曜日からは日常に復帰するために動く。
夜は寂しいのか、色々な人にラインをしたり電話したりしていた。
4月25日(6日目)
今日からピアノを弾き出した。とにかく基礎練。あまりにも手がなまっている。
この機会に何かクラシックの曲でも習得しようと思い、
譜面を引っ張り出してやり出すが20分で諦めた。
この二日間くらい、薬を飲んでダルくなる感じがあったので、病院に相談。
先生から「症状が無ければ薬を飲まなくていい」と言われたのでこの日から薬を止めた。
あまりにも喋っていないのでたまに「あー、あーー」と声を出す。
喉の痛みが治まってきたので、冷蔵庫にしまってあった炭酸をフルーツ酢で割って飲んだ。
これが信じられないくらい爽快だった。
いい加減、家のご飯にも飽きてきたので、初めて「出前館」を頼んでみた。
こーゆー物には全く縁が無いと思っていた。
バイクに搭載されているGPSが家に来るのをずっと眺めていた。
そして買ったままの小説を読みだした。
4月26日(7日目)
ほぼ日常生活に戻る。外に出られないストレスがすごい。
一日の大半をベランダで過ごす。風が気持ちいい。
知り合いに家にテニスコートを持っている人がいる。
この人なら自宅待機でもテニス出来るのだろうなと余計な事を考える。
映画を見た。40年くらい昔の映画で、太宰治の最期を描いていた。
太宰治の忌日は「桜桃忌」とも言い、毎年太宰治の墓には大勢のファンが集まる。
しかし、一緒に死んだ愛人山崎富栄の墓には旧知の知り合いが二人程。
そんなコントラストから映画が始まる。
4月27日(8日目)
もうとっくに通常。
薬を飲まなくなってから72時間経っても症状が出ないので療養解除の条件を満たす。
あとは30日まで過ごすのみ。家には大量のポカリスエットが余っている。
と、こんな感じでコロナにかかってからの日々をお送りいたしました。
このラブレターを書いているのが28日。総括させて頂くと
・突然発症する (これは本当に)
・刈川の場合はとにかくダルさと倦怠感 (咳はほとんど出なかった)
・体温調節機能をやられた
・集合住宅なので郵便を取りに行けなくて困った
・ゴミが出せないのが辛い
・運動が出来ない (これはこれで体調悪くなりそう)
・暇だと時間が過ぎるのが早い
・一番辛かったのは寝過ぎによるお尻の痛み
こんな感じです。
正直、この人から貰ったなという想像はつくのですが、
その人と対峙した時も、決してマスクを取ったり至近距離で話したりはしておりません。
その方も朝は陰性と判断され、夕方に陽性と判断されておりました。
個人的な解決策としては、少しでも具合が悪くなったら休んだ方が良いと思います。
本当に感染力の強いウイルスです。
症状は個人差があるみたいですが、刈川は軽傷だったと思います。
常に自分の体調を把握している事が収束への近道だと思います。
病気よりも、病気を取り巻く偏見や制度がしんどいです。
流行さえ収まってくれればと願う日々です。
今回かかって、未知なる恐怖では無くなったので、それは一つ楽になりました。
もし周りでかかっている方がいたら、どうぞ優しい言葉をかけてあげてください。
とても励みになります。君もまだまだ気を付けてね。
デートの約束をしよう。
次会える日まで会えない時間を大切に。
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